前回のブログの反応を受けて、皆さんへ
※一部数字の間違いがありましたので4/13時点で修正致しました。
前回のブログ
を書いてから様々な反応を頂きました。
ありがとうございます。
中には私の意図とは違う意見も見受けられましたので、下記についてご説明します。
①ブログで伝えたかったこと
②現在、心身共に健康ということ
③二次被害
④私の望むこと
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①
私がブログで最も伝えたかった事は
「私の生き方」です。
今まで胸に秘めていた事実をブログに書くいうことは私のケジメであり、人生の覚悟です。
「辛い経験も沢山あるけど、そんな自分を丸ごと受け入れて、愛して、前向きに生きていく」という宣言です。
センシティブな内容の為、初めて私の過去を知った方々にはご心配をおかけしていますが、私にとって「書けた」ことは「一つのトンネルを抜けた」ということです。
「自分は何者か」長年問い続けてきましたが、その答えを見つけることができ、今は自分をとても誇らしく感じています。
勿論「皆さんに実情を知って頂き、同じ被害を繰り返さない」という大切な目的もありますが、周囲から「加害者に対する制裁をどう考えているのか」と問われたりする場面もあり、私の思いとは少し逸れて伝わっている気がしたので改めてご説明しておきます。
※記事を拡散して頂いたり、コメントを頂けるのはとても嬉しかったです。色々な意見があるのも当然ですし自由だと思います。
ありがとうございます。
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②
現在私は、心身共に健康です。
⚫︎元マネージャーが原因のフラッシュバックは2016年頃に無くなりました(きっかけは改めて書きます)。
⚫︎ブログ後半に書いた
については、誰でも加害者・被害者になる可能性がある事を今一度考えてほしいという意味であり、私の元マネージャーのトラウマとは関係ありません。
「親しくない人に身体を勝手に触られたら不快な感覚が残りフラッシュバックする」
単純にそれだけです。
これはこれ、それはそれ。
上手く伝えられず申し訳ありませんが、混同なさらないでください。
⚫︎摂食障害の期間は、被害を受けていた1年間です。
それ以降は普通の食生活をしています。
今は正しい食事の知識を持ち、栄養バランスを計算して体型管理することも出来ますし、筋トレもしています。腹筋も割れてます。
(サボって深夜にラーメン食べる時もあります)
⚫︎鬱についても書きましたが、健康です。
今までもお仕事に支障をきたした事はありません。
というのも私は仕事大好き人間で、私にとって芝居は生き甲斐そのもの。幸せそのものだからです。芝居に向かっている時だけは、どんなフラッシュバックもありませんでした。
(あくまで私の場合です。仕事が好きでも鬱で苦しむ方が大勢いる事は理解しており、そのような方々を決して否定しているわけではありません。どうかご容赦ください。)
犯罪やハラスメント(愛ではなくエゴと呼ばれるもの)は論外ですが、仕事現場に対して生優しさも求めてはいません。
信頼する仲間同士リスペクトし合い、良い作品を作ろうと愛情をかけ、本気で切磋琢磨する時間はかけがえの無いものであり、どれだけ挫折しようが、家で悔し涙を流そうが、鬱にはなりません。
例え厳しい壁にぶつかったとしても、それは当たり前の事であり、自分が成長する喜びや感謝を感じます(厳しいとすら思いません)。
私は仕事や芸術に真摯に向き合います。
逃げません。
⚫︎仕事以外の時間や、
コロナ禍で思うように活動ができなかったり、悲しい出来事などが重なったりして鬱になってしまう時期はありましたが「ブログを書き、トンネルを抜けた今」これまで感じていた鬱の予兆はありません。
辛かったのは、ブログを書くに至るまでの10年の過程です。
なので心配しないでください。
普通に元気です。
元気だからブログに書けたのです。
恐らくブログで公表する前の私と、した後の私とで、皆さんにお見せする姿に大差はありません(強いて言えば前より自由に振る舞えるようになったことでしょうか)。
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③
二次被害もあったので断っておきます。
私は今まで恋愛もしてきましたし、これからもしていくでしょう。
顔見知り程度の方から、わたしの過去の発言や行動を持ち出して「だからあの時の恋愛はああだったんだね」などと、ブログに書いたトラウマと勝手に関連付けられてしまう事があり不本意でした。トラウマについてのパーソナルな部分を、顔見知り程度の方に見せたことはありません。
私は心身共に健康ですし、トンネルは抜けました。ですが経験した過去や傷が消えるわけではありません。
心構えや配慮のない方から、過去について無鉄砲に尋ねられたりすることは、いくら健康でも精神的に負担のかかる事だというのは、知って頂けたら嬉しいです。
(真摯なお気持ちで話して頂ける方には、こちらも出来る限り対応します。)
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④
「自分の哲学を持ち、人間として幸せを探究すること」
「これからも俳優として、素晴らしい作品に携わり続けること」
「性被害を無くすこと」
これが私のしていきたいことで、心からの望みです。
性被害を無くす
※一部数字の間違いがありましたので4/13時点で修正しました。
性暴力に関する内容です。お気をつけください。
2013年3月、私はレイプされた。
やっとの思いで合格した芸能事務所に所属するため、上京してきた矢先。
20歳になったばかりの時だった。
相手は事務所のマネージャー(当時45歳)の男だ。望まない性行為は約一年に渡って続いた。
断っておくが、決して仕事やチャンスを対価にする枕営業と呼ばれるものでは一切無い。
望まない性行為、レイプだ。
2013年2月28日 上京初日
三度面識のあったマネージャーに上京を報告すると、二人きりで会うことになった。
私は人見知りだったので、連絡をするのも、会うことも物凄い緊張だった。
食事の後はカラオケに入って話をしたが、1時間も経たないうちにマネージャーが「来い。来いよ。」と何度も言ってきた。
隣に座っているのにこれ以上どこに行けというのか。相手が何を言っているのかさっぱり分からず戸惑っていると、急に抱きしめられ、何度もキスされそうになった。
どうにか腕を解いても、繰り返し迫られた。
私はパニックになり、相手を怒らせないように顔を背けキスを避けるので精一杯だった。カラオケを出て解散するまで3時間続いた。
帰りがけ
「芸能活動に支障が出ると困るから、前の恋愛を忘れさせるためにからかっただけ」と言われた。
その時の私は「仕事の話は親身に教えてくれるし、相手は大人だから冗談でやっていたのだろうか」と思った。
数日後
マネージャーが体のサイズを測るため私の家に来た。当時の私は「マネージャーがタレントの家に行く事もきっと当たり前なのだろう」と思った。
5畳半の狭い部屋でサイズを測り終えた時
胸を触られ、急にキスをされ、部屋の隅に追い詰められ、抱きしめられ、関係を迫られた。
私は頭が真っ白になり、自分に何が起きているのか全く分からなかった。25歳も上の、ましてやマネージャーが何故私に覆い被さっているのか、全く理解出来なかった。
相手がベルトを外した時、私は勇気を出して一度断ったが「ここまで来て普通断らないでしょ」と言い伏せられ、それ以上拒否することはできなかった。
汚くて気持ち悪かった。
そこから一年間レイプは続いた。
誰かに言えばクビになり全て失うと思った。
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今考えるとありえない事だらけですが、当時の私は何も分かりませんでした。
洗脳され、マインドコントロールされ、レイプをされ、人格否定をされ、搾取される日常です。
事務所オーディションに合格し、上京前にマネージャーと電話連絡していた時から、洗脳とマインドコントロールは始まっていました。
俺が全て。
売れたかったら俺以外信じるな。
事務所の人間も信じるな。周りは全て敵。
俺とのことは誰にも言ってはいけない。
俺以外に心を開くな。
お前のために言ってる。
教えてやってる。
ここまでお前のことを考えてやる人間はいない。
どこへ行く、何をする、誰と会う、誰に何を言われた、何時に家を出る、何時に帰る。プライベートも全て細かく報告すること。
恋愛禁止。
友達作るの禁止。
人と連絡先交換するのも禁止。
バイト先の人間も信じてはいけない。
バイト先での人付き合いも禁止。
写真や動画に撮られるのも禁止。
毎回会うたび異常に話が長く、電話でも9時間、12時間超えることも普通。
「事務所の人間は忙しいんだ。積極的に来い。俺に連絡しろ。食事にも誘え。」と指導され、緊張しながら、お腹が痛くなりながら電話して食事に誘いました。
演技練習としてセリフの読み方を教えると言われ、私の部屋で指導された事もあります。
「お前はいつも傲慢で未熟で我が儘、自分勝手でマイナス思考だ。マイナスのタレントなんて必要ない。そのままでいるならいらない。」と何度も言われます。
メールで長い反省文を送りました。
そのままでは売れないから、一ヶ月で7kg痩せるように言われました。164cm50kgでしたが、太い太いと日常的に追い詰められました。
「20歳未満は子供だから手を出さない。それ以上は自己責任だから。」とも言っていました。
その言葉で「私は20歳だから誰からも助けてもらえないんだ、誰かに言ってももう遅いんだ」と思いました。
私は成人していましたが、精神年齢は決して大人ではありませんでした。
当時使っていたノートの一部です
異常なのが伝わると思いますが、この男は病気だと思います。私以外と関わる時もおかしな行動ばかりでした。
人から全てを奪い、遮断し、洗脳し利用する事で自らを証明せずにはいられない、自己愛に陶酔して快楽を覚える悍ましい人間です。
病気だろうが他人を傷つける行為は許されません。
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私は被害にあってから4年間、365日毎分毎秒フラッシュバックに襲われました。容赦なく毎秒脳裏に浮かぶ相手を、日本刀で切り刻み血だらけにし、死ね、死んでくれと念じて振り払っていました。
唯一忘れられたのは演技をしている時だけでした。
私の心は崩壊寸前で、常にぐじゃぐじゃでした。自分が汚くて汚くて堪らなかった。鬱になり、顔面痙攣も起こり、毎日一人部屋で泣きました。
摂食障害になり「過食・嘔吐・チューイング・絶食」を繰り返しました。
一ヶ月で7kg痩せられず、二ヶ月目には親に嘘をついてお金を貰い、脂肪吸引も予約しました。結局怖くてキャンセルしましたがお金は返ってきません。
人間が信じられなくなりました。
冗談抜きで長いこと人が怖くて怖くて堪らなかった。
誰にも言えなかった。世界がなかった。
孤独だった。
傷が残るからリストカットだけはしなかったけど、夢を叶えるという意思だけでなんとか日々過ごしていました。
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勿論レイプされた事で言い表せないほど苦しんできましたが、同じく辛かったのは「人を信じたくても信じられなくなった」事でした。最悪とか最低ではありません。あの一年は地獄そのものでした。
2019年11月頃からは自分で責任を持って人を選び信じる事ができるようになりましたが、これは物凄い進歩だと思っています。
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2022年3月10日
そして私は先日、レイプにあったことを初めて母親に話しました。
被害を受けてから10年目に入り、このブログに書けるようになったのでそのプロセスもまた別で書こうと思います。
沢山の方に救われてきましたが、経験したことが複雑であまりに多く、まとめるのが難しいのです。
注意して頂きたいのが、
私は10年で偶然このブログを書けるまでになりましたが、これは唯の数字で全く当てになりません。長いとも短いとも思わない。
前進はしてても途中なのです。
性被害に限らずトラウマを抱える人に対して
「◯年経ったのにまだ言ってるの?」
「◯年経ったから大丈夫でしょ。」
「断れないあなたが悪い」
と等と言い放つ人がいますが、時間の長さは他人が決めることではありません。時間がずっと止まってしまうのは当たり前だし、他人から見て簡単そうに思える1のプロセスに、5年10年一生かかります。
そして悪いのは何より加害者であり、被害者を責めるのはセカンドレイプです。
こうしてブログを書きながらも涙は勝手に溢れてくるし、フラッシュバックまで行かずとも「思い出して」心がどん底に落ちることは多々あります。
どうか思いやりを持ってほしい。
手相を見ると言って強引に手を触っていませんか
手の大きさや温度を確かめるふりをして指を絡めていませんか
肩を揉んであげると言って勝手に触っていませんか
髪を勝手に撫でていませんか
腰に手を当てていませんか
冗談に見せかけてお尻を触っていませんか
友達だから許されると胸を触っていませんか
力でねじ伏せようとしていませんか
お酒を言い訳にしていませんか
言葉や態度で人の尊厳を傷つけていませんか
私はこれら全てを恋人以外の、様々な職業年齢立場の人にされ、全て不快に感じました。
一度たりとも頼んで触ってもらった事はありませんし、嬉しいと思った事もありません。
レイプの時と同じようにフラッシュバックが襲い、辛い状況が続きます。
どんなに気をつけていても起こるのです。
隙があろうと無かろうと、相手は勝手に触ってくるのです。
誰かに下心や軽い気持ちで触られた箇所は、焼け爛れたような感覚を残して心を蝕み続けます。
触られた所を切り落としてしまいたい衝動を抑え、代わりに何度も何度も肌に爪を立てるんです。不快な感覚を一瞬でも忘れる為に、自分で上書きして痛めつける方がましなんです。それでも感覚は消えません。
愛しくて大切なはずの自分の体が嫌悪の対象になってしまうんです。
時間が過ぎるのを耐えて待つばかりですが、それでも忘れられる保証はありません。
逃げ場はありません。
自分の体なのに。
自分の体だから。
もう黙らない。怒る。主張する。
人を馬鹿にするのも大概にしろ。
人の尊厳を踏みにじり、肉体と精神を傷つけ破壊する人間を、私は絶対に許さない。
※3/20
このブログの反応を受けて、新しい記事を書きました。
https://io-uto.hatenablog.com/entry/2022/03/20/152542
愛について
いつも活動を追いかけているカウンセラーの方の、無料メディテーションというのを申し込んでみた。
何をするのだろうと思っていたら、すぐにデータ付きのメールが送られてきた。
15分ほどの音声データを聞いて瞑想し、インナーチャイルドを癒すというもの。
なんとなく用語も知っているし、良くある感じだからあまり効果は期待していなかったけど、せっかくなのでちゃんとやってみることにした。
…泣いた。
メールに「涙が出る場合もあるのでティッシュの用意と、一人になれる場所を選んでくださいね」と書いていて、ある程度自力で心を癒してきた身としては「今更泣かんよ〜〜。オイオイ〜〜。」って思ってたんだけど、普通に泣いてた。やっぱり自己流では限界があるんだな。
大まかな内容は、
小さい頃の自分に、今の自分が「大好きだよ、大切だよ、味方だよ」と言って抱きしめてあげるというもの。
抱きしめてあげましょうという音声案内の前に、瞑想の中で小さな自分(以下昔の私)を抱きしめてあげていた私は中々良い勘をしているなと思う。俳優みたいじゃん。(俳優だ)
今の私は勿論、昔の私を大事に思っているんだけど「大好きだよ、味方だよ」と自分で言いながらも、この小さな子がこの先いろんなことを経験し、傷つき苦しむんだと思うと、悲しくて心配でたまらなくなった。
どれだけ味方であっても、今後この子に傷が降り注ぐという事実からは守ってやれないのだ。
だけど、ここで何より驚いたのが、昔の私が今の私に対して「大好きだよ、大丈夫だよ」と声をかけてくれたこと。(昔の私が話すなんて指示にはなかった)
瞑想の人物が勝手に話し出すなんて人生で初めての体験で、今の私には「え?!話すの?!」と嬉しさと驚きが入り混じった。
昔の私の言葉はとても真っ直ぐで、例えるなら子から母親への愛情に似ていただろうか。
全てを承知して、俯瞰した上で言ってくれた言葉のように思う。こんな小さな子なのに、頭が上がらなかった。
自己愛って、こういうことなんだろう。
私には私という唯一無二の味方がいる。
そして私は私の唯一無二の味方だ。
そこには無償の愛、無垢な愛がある。
他人に愛されるのも勿論ありがたいし嬉しいけど、誰の愛を求めずとも、私には既に愛が存在している。だから誰かに「愛してよ、愛させてよ、分かってよ」と叫ばなくてもいいのだ。
今日やったメディテーションは、本当にさわりだけだと思うけど、私にとって素晴らしい気づきと体験だった。頭で知っているのと、腑に落ちるのとではわけが違う。絡まった糸がほぐれたようだ。
それぞれ表現は違えど、芸術って、生きるって、結局ここの部分に辿り着くように思う。
このことを仲良しのプロデューサーさんに伝えたら「いーなー!素敵ー!魂上がったね!笑」と言ってくれた。私の中で何かが大きく変わったわけではないけど、昨日の自分より少しでも成長しているのは嬉しい。
(意図せず昔の私が赤い服で出てきてくれたのは、後から思い返すと映画のようで良いな、と思った。)
私、いつもありがとう。
これからもよろしくね。大好きだよ。
愛のままを
家でダラダラしていたら友人から呼び出しの電話を貰った。
ローテンションで返事をすると「元気ないじゃん」と言われたが、生理痛だとは言う気にならなかった。
行けたら行くと伝えてからシャワーを浴び、合流した。行けたら行くで本当に来るやつがいるのかと笑われたが、私は割と行くタイプだ。
知らない人が何人かいた。私の人見知りが発動したせいもあるけど「誰彼と知り合いだ、誰々がなんの仕事をした、自分の価値観はこうだ」とあまり身にならない自己顕示欲ばかり繰り広げられていたので、つまらなくて殆ど聞き役になっていた。
私も生きていて色々思うことはあるけど、尊敬できない人に話す気にはならない。
数時間飲んだ後、カラオケへ行ってカネコアヤノの「愛のままを」を初めて歌った。
気楽な集まりは愛や執着が少なくて自由だ。
でも、居心地が悪い。
邪気が溜まっている気がする、好きじゃない人と会ってもしょうがないなと思う
15本
一週間で15本、映画のDVDを観た。
先週「燃えよ剣」を公開初日に観て感化された私は、その足で真っ直ぐTSUTAYAに向かった。
最近の生活リズムから考えると映画館へ行くのは夜が丁度良いと思ったのだけど、いち早く映画を観たかったのと、観たら絶対に感化されて、じっとしていられなくなるのは明白だったので、しっかり昼間に劇場へ行った。
ここまで生きてきて、ようやく自分の行動パターンというのが分かってきたように思う。本物に触れた後は決まって衝動が抑えられない。
DVDを選ぶのは物凄く楽しかった。
渋谷TSUTAYAの品揃えに感謝である。宣言期間中、渋谷ではレンタル停止だったし、うちの近所のTSUTAYAには残念ながら私の目当ての作品は殆ど置いていない。
豪華絢爛の品揃えを前に、興奮してどんどん作品を手に取ってしまったけど、何とか我慢して15本に絞った。DVD化されていないものもあったので近々ビデオデッキを買おうと思う。
名作ばかり借りたのでどれも面白かった。感想はFilmarksにメモしているのでここでは割愛するけど、中でも手元に置いておきたいなと思ったのは
イングマール・ベルイマン/ペルソナ、ファニーとアレクサンデル、ある結婚の風景
やっぱり女性の出演シーンが多かったり、家族や恋愛物は観ていて楽しい。ペルソナを観てまたベリーショートにしようかなと思った。
私もあのテンションで「メリークリスマス!」と叫びたいし走りたい。あと守護天使に会いたい。
なんなら来世は自分が守護天使になりたいと思ってるけど、先日色々見える人と話した時に「あなたは前世は〇〇な人だから、来世も〇〇な人ですよ」と言われたばかりなので、私はまだまだ人間を上れないようだ。カルマを解消するには社会貢献が大事だと思う。天使の道は遠い。
それから、見応えがあったのは
ハナのブルーのドレスが素敵だった。古着屋で似たようなのを探したい。
結構最初に観たけど、特典映像だけで映画2.5本分あるんじゃないだろうか。ボリューム満点で非常に有難いし勉強になったのだけど、特典映像という概念を忘れて15本も借りてしまったので、急に全て観る自信がなくなり青ざめた。誰だ、余裕ぶっこいてたやつ。
だけどまあ、なんだかんだで15本観れた。
内2本は好みに合わなくて倍速で流し見。
1本は名作と言われるもので、もう1本は最近のもの。どちらもキワキワを攻めている作品で言いたい事や挑戦していることは感じたのだけど、観続けるのが厳しかったので詳しくは解説を調べることにした。
2本とも中高生時代の私なら好きだったと思う。観ていたら衝撃も受けたはずだし、自分のインスピレーションの根幹に何かが残っただろう。
たとえ好みじゃなくとも、今まで私が観てきた数多くの作品は、こういう名作から影響を受けた人が作り上げてきたものだろうから、計り知れない恩恵を受けている。そう思ったらとてもありがたい。
影響受けた人の、影響受けた人の、影響受けた人…と、
根幹を巡っていくと途方もないけど、そこにロマンを感じる。
まだまだ観れていない名作が多くある。
沢山借りることができて満足したのと同時に、こんなに観ていないのかと恥ずかしくなったのが正直なところ。沢山学びたい。
来週は、本を重点的に読みたいと思う。
社会学と心理学の本が何冊か溜まっているのと、気になっている小説を買いたい。本と映画を行ったり来たり、メリハリがあって面白い。
へんなのがふつう
こんな世の中、平常心でいられないのはふつう
気分にムラが出る
何時間も何日間も落ち込む時もあれば5分くらい落ち込む日もある。全く落ち込まない日もたまにあるけど、落ち込む予兆みたいなのは常にあって、予兆を意識しながら「あ、今日はどん底に行かなくて大丈夫そうだ」と思いながら過ごす感じだ。
ほんと最近まで気づかなかったんだけど、長いこと、私にとってこの落ち込みは普通のことだった。PMSもHSPもあるし、ちょっと人より感情が激しいかもしれないとは思っていたけど「ま、役者だし。誰だって落ち込むことはあるし。普通じゃん。」くらいに感じていた。辛いけどそんな自分も嫌いじゃないんだ。
※芸能の仕事に支障ない
でも思い返せば、本格的に落ち込みが強くなったのは20歳の時からだ。18〜19歳からも沈む片鱗は感じていたけど、これほどではなかった。もっと遡れば小さな時から沢山のことに傷ついてきたけど、外では心を押し殺して表には出さなかったし、家の中ではどんなに家族と激しい喧嘩して泣こうとも、沈むなんてことはなかったように思う。
でもどうだろう。
この年になってまでも、落ち込みすぎやしないか。沈む感情が日常に溶け込みすぎて今まで気づかなかったが、どうやら普通ではない。
トラウマを長いこと克服できるように頑張っていたけど、克服に必死でこのトラウマを鬱のきっかけとしてみていなかった。
なぜなら心を深掘りすればするほど、落ち込む問題は一つではないと感じるから。親との関係だってそうだし、過ごしてきた環境もそう。私の考え方だってそう。スペクトラムというかグラデーションというか。だから原因というのを特別考えたこともなかった。
鬱になったものはしょうがないから、何かに責任を押し付けるつもりもない。
ただ、最近改めて自分の歩みを振り返ってみた時に「ああ、私の鬱は普通の事なんかではなく、あの時から引き起こされたんだなあ」と認知することができて、少し新しい発見をした気になった。
発見できたのは、最近トラウマについて初めて専門家に相談をしたから。
今まで周りのサポートと自分の力でここまで乗り越えてきて私が感じているのは
結局のところ傷は消えない、抱えて生きていく。ということ。
それから、信頼できる人たちから沢山の愛を注いでもらえたら、私の傷は癒やされていくのかもしれない。ということ。
だけどそんなことを悟っても、辛いものはつらい。心の拠り所もない。最近はもう頭打ち状態で、これ以上私にはどうしようもなかった。だからプロに相談した。
相談したからといって解決するわけではないけど、当事者の私にも気づかない、専門家だからこそ分かること。客観視してもらえるということ。自分を責めるのを一つ軽くできたということ。と、大きな収穫があった。
今まで知識のない人、心ない人、間違った人に相談してしまい二重に傷つけられる経験が多々あったけど、それらを一喝できるほど専門家の言葉は大きかった。
感謝。
感激したので、私は当事者として、同じように苦しむ人の心が軽くなるお手伝いがしたいし、寄り添う事ができたら嬉しいなと思う。
こんな世の中じゃなにが普通かもわからない。普通という言葉もナンセンスだろう。ただそこにある辛さから解放されたい。楽しく暮らしたい。
それだけだ。
自由戀愛
こういった女そのものが描かれた作品に、私は強く心惹かれてしまう。
つい先日映画の自由戀愛を観たのがきっかけ。映画の117分間で泣いたり笑ったり奈落の底へ突き落とされたり、色んな感情が湧き起こる素敵な体験をした。
映画オリジナルの、監督から朋子への最後の台詞も、ラストも大好き。脚本から愛情深さがしみじみ伝わり、共感し頷きすぎて首がもげてしまいそうだった。
私もああやって言ってくれる人と結婚する。
脱線した。
そして特典映像を観ると、女豹の格好をされている印象の強い岩井志麻子先生が本業のお姿で話しておられるではないか。
興味が尽きない。
そんなこんなで少しでも長く作品の世界に浸っていたくなった私は、すぐさま原作を購入した。
原作で強く共感したのは、清子が「女」を実感する部分。
女に生まれたことによって、生きづらさや不自由さ、恐怖を感じる瞬間は令和の今でも日常に潜んでいる。体一つにしてもそうだし、女の中に渦巻く激しい感情から目を背けたくなることだって沢山ある。
だけど自分の生に立ち返った瞬間に、恥じらう事も嫌悪することもなく、私達はただ「女」なのだと実感する。
かくいう私も去年まで自分が女である事がどうしようもなく気持ち悪かった。それは心の性別がどうとかという事ではなくて、自分が本当は物凄く女らしいということに気づきたくなかったのだと思う。
心が幼い時から、体の発達を通して突きつけられる女という性。男兄弟や男友達と同じようにいたいのに同じではいられない心地悪さ。同性同士の腹の探り合い。外に出れば弱者として危険にさらされる。こんな女に、疲れと嫌悪感をずっと抱いていた(全ての性別の方にそれぞれ悩みがあると思います)。
私も清子のように、自分が女である事を実感してからはだいぶ女を受け入れ、強く、楽しめるようになったと思う。
それが例えドロドロした感情であっても。
朋子、清子の生きた大正は女性にとって今よりも生きづらい時代だったと思うけれど、人を愛する事や自立しようとする姿は現代の私たちと変わりなく、強い勇気と希望をもらった。
私が唯一接した大正生まれ、今は亡き曽祖母はどんな人生を歩んできたのだろうかと、思いを巡らせる。
優一郎さんに関しては、終始苦情入れながら映画も小説もみましたけども。笑
自立してこう。
おわり。