自由戀愛

岩井志麻子さんの自由戀愛を読んだ。

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こういった女そのものが描かれた作品に、私は強く心惹かれてしまう。


つい先日映画の自由戀愛を観たのがきっかけ。映画の117分間で泣いたり笑ったり奈落の底へ突き落とされたり、色んな感情が湧き起こる素敵な体験をした。



映画オリジナルの、監督から朋子への最後の台詞も、ラストも大好き。脚本から愛情深さがしみじみ伝わり、共感し頷きすぎて首がもげてしまいそうだった。


私もああやって言ってくれる人と結婚する。

脱線した。


そして特典映像を観ると、女豹の格好をされている印象の強い岩井志麻子先生が本業のお姿で話しておられるではないか。

興味が尽きない。



そんなこんなで少しでも長く作品の世界に浸っていたくなった私は、すぐさま原作を購入した。



原作で強く共感したのは、清子が「女」を実感する部分。


女に生まれたことによって、生きづらさや不自由さ、恐怖を感じる瞬間は令和の今でも日常に潜んでいる。体一つにしてもそうだし、女の中に渦巻く激しい感情から目を背けたくなることだって沢山ある。


だけど自分の生に立ち返った瞬間に、恥じらう事も嫌悪することもなく、私達はただ「女」なのだと実感する。



かくいう私も去年まで自分が女である事がどうしようもなく気持ち悪かった。それは心の性別がどうとかという事ではなくて、自分が本当は物凄く女らしいということに気づきたくなかったのだと思う。


心が幼い時から、体の発達を通して突きつけられる女という性。男兄弟や男友達と同じようにいたいのに同じではいられない心地悪さ。同性同士の腹の探り合い。外に出れば弱者として危険にさらされる。こんな女に、疲れと嫌悪感をずっと抱いていた(全ての性別の方にそれぞれ悩みがあると思います)。


私も清子のように、自分が女である事を実感してからはだいぶ女を受け入れ、強く、楽しめるようになったと思う。

それが例えドロドロした感情であっても。


朋子、清子の生きた大正は女性にとって今よりも生きづらい時代だったと思うけれど、人を愛する事や自立しようとする姿は現代の私たちと変わりなく、強い勇気と希望をもらった。


私が唯一接した大正生まれ、今は亡き曽祖母はどんな人生を歩んできたのだろうかと、思いを巡らせる。



優一郎さんに関しては、終始苦情入れながら映画も小説もみましたけども。笑



自立してこう。


おわり。