へんなのがふつう

こんな世の中、平常心でいられないのはふつう

気分にムラが出る

何時間も何日間も落ち込む時もあれば5分くらい落ち込む日もある。全く落ち込まない日もたまにあるけど、落ち込む予兆みたいなのは常にあって、予兆を意識しながら「あ、今日はどん底に行かなくて大丈夫そうだ」と思いながら過ごす感じだ。


ほんと最近まで気づかなかったんだけど、長いこと、私にとってこの落ち込みは普通のことだった。PMSHSPもあるし、ちょっと人より感情が激しいかもしれないとは思っていたけど「ま、役者だし。誰だって落ち込むことはあるし。普通じゃん。」くらいに感じていた。辛いけどそんな自分も嫌いじゃないんだ。

※芸能の仕事に支障ない


でも思い返せば、本格的に落ち込みが強くなったのは20歳の時からだ。18〜19歳からも沈む片鱗は感じていたけど、これほどではなかった。もっと遡れば小さな時から沢山のことに傷ついてきたけど、外では心を押し殺して表には出さなかったし、家の中ではどんなに家族と激しい喧嘩して泣こうとも、沈むなんてことはなかったように思う。


でもどうだろう。

この年になってまでも、落ち込みすぎやしないか。沈む感情が日常に溶け込みすぎて今まで気づかなかったが、どうやら普通ではない。


トラウマを長いこと克服できるように頑張っていたけど、克服に必死でこのトラウマを鬱のきっかけとしてみていなかった

なぜなら心を深掘りすればするほど、落ち込む問題は一つではないと感じるから。親との関係だってそうだし、過ごしてきた環境もそう。私の考え方だってそう。スペクトラムというかグラデーションというか。だから原因というのを特別考えたこともなかった。

鬱になったものはしょうがないから、何かに責任を押し付けるつもりもない。

ただ、最近改めて自分の歩みを振り返ってみた時に「ああ、私の鬱は普通の事なんかではなく、あの時から引き起こされたんだなあ」と認知することができて、少し新しい発見をした気になった。

発見できたのは、最近トラウマについて初めて専門家に相談をしたから。


今まで周りのサポートと自分の力でここまで乗り越えてきて私が感じているのは

結局のところ傷は消えない、抱えて生きていく。ということ。

それから、信頼できる人たちから沢山の愛を注いでもらえたら、私の傷は癒やされていくのかもしれない。ということ。


だけどそんなことを悟っても、辛いものはつらい。心の拠り所もない。最近はもう頭打ち状態で、これ以上私にはどうしようもなかった。だからプロに相談した。


相談したからといって解決するわけではないけど、当事者の私にも気づかない、専門家だからこそ分かること。客観視してもらえるということ。自分を責めるのを一つ軽くできたということ。と、大きな収穫があった。


今まで知識のない人、心ない人、間違った人に相談してしまい二重に傷つけられる経験が多々あったけど、それらを一喝できるほど専門家の言葉は大きかった。

感謝。


感激したので、私は当事者として、同じように苦しむ人の心が軽くなるお手伝いがしたいし、寄り添う事ができたら嬉しいなと思う。


こんな世の中じゃなにが普通かもわからない。普通という言葉もナンセンスだろう。ただそこにある辛さから解放されたい。楽しく暮らしたい。

それだけだ。