愛について

いつも活動を追いかけているカウンセラーの方の、無料メディテーションというのを申し込んでみた。

何をするのだろうと思っていたら、すぐにデータ付きのメールが送られてきた。


15分ほどの音声データを聞いて瞑想し、インナーチャイルドを癒すというもの。


なんとなく用語も知っているし、良くある感じだからあまり効果は期待していなかったけど、せっかくなのでちゃんとやってみることにした。


…泣いた。


メールに「涙が出る場合もあるのでティッシュの用意と、一人になれる場所を選んでくださいね」と書いていて、ある程度自力で心を癒してきた身としては「今更泣かんよ〜〜。オイオイ〜〜。」って思ってたんだけど、普通に泣いてた。やっぱり自己流では限界があるんだな。


大まかな内容は、

小さい頃の自分に、今の自分が「大好きだよ、大切だよ、味方だよ」と言って抱きしめてあげるというもの。


抱きしめてあげましょうという音声案内の前に、瞑想の中で小さな自分(以下昔の私)を抱きしめてあげていた私は中々良い勘をしているなと思う。俳優みたいじゃん。(俳優だ)


今の私は勿論、昔の私を大事に思っているんだけど「大好きだよ、味方だよ」と自分で言いながらも、この小さな子がこの先いろんなことを経験し、傷つき苦しむんだと思うと、悲しくて心配でたまらなくなった。

どれだけ味方であっても、今後この子に傷が降り注ぐという事実からは守ってやれないのだ。


だけど、ここで何より驚いたのが、昔の私が今の私に対して「大好きだよ、大丈夫だよ」と声をかけてくれたこと。(昔の私が話すなんて指示にはなかった)


瞑想の人物が勝手に話し出すなんて人生で初めての体験で、今の私には「え?!話すの?!」と嬉しさと驚きが入り混じった。


昔の私の言葉はとても真っ直ぐで、例えるなら子から母親への愛情に似ていただろうか。

全てを承知して、俯瞰した上で言ってくれた言葉のように思う。こんな小さな子なのに、頭が上がらなかった。


自己愛って、こういうことなんだろう。

私には私という唯一無二の味方がいる。

そして私は私の唯一無二の味方だ。

そこには無償の愛、無垢な愛がある。


他人に愛されるのも勿論ありがたいし嬉しいけど、誰の愛を求めずとも、私には既に愛が存在している。だから誰かに「愛してよ、愛させてよ、分かってよ」と叫ばなくてもいいのだ。


今日やったメディテーションは、本当にさわりだけだと思うけど、私にとって素晴らしい気づきと体験だった。頭で知っているのと、腑に落ちるのとではわけが違う。絡まった糸がほぐれたようだ。


それぞれ表現は違えど、芸術って、生きるって、結局ここの部分に辿り着くように思う。


このことを仲良しのプロデューサーさんに伝えたら「いーなー!素敵ー!魂上がったね!笑」と言ってくれた。私の中で何かが大きく変わったわけではないけど、昨日の自分より少しでも成長しているのは嬉しい。


(意図せず昔の私が赤い服で出てきてくれたのは、後から思い返すと映画のようで良いな、と思った。)

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私、いつもありがとう。

これからもよろしくね。大好きだよ。